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東明雅の連句Q&A

 
36・同性愛の恋句
芭蕉の恋句は、「さまざまに品変わりたる恋」を取材し、共感して描き出しているところに特徴があると言われます。それなら、同性愛といったようなものは「恋句」の範疇には入らないものかどうか。現代の連句はこうしたものを避けたがっているようにも見受けられますが、この点は如何でしょうか。

 
拙著「芭蕉の恋句」(岩波新書)の中(一八九頁)に、私は左の男色の付合二つを取り上げて、恋句として鑑賞しております。

  @   むかし咄に野郎泣する        許六
     きぬぎぬは宵の踊の箔を着て      芭蕉

  A   うつくしかれとのぞく覆面      北枝
     つぎ小袖薫(たきもの)売の古風なり   芭蕉

元々、同性愛は中世の僧侶や武士に流行したものが、近世になって町人階級にも及んだものでありましたが、僧侶や武士は女色の享楽的・本能的要素に極めて否定的だったので、その代償とした男色には極めて倫理的・精神的要素を求める傾向が強く、衆道と称されておりました。

例に掲げた二つの付合も、男色を恋の好奇的な享楽的な現象として取り上げるのではなく、付句に箔の衣裳あるいはつぎ小袖を出す事によって、位を与え、むかし咄・古風という事をつける事によって、その売色者に独自のしおり・寂を与えております。これはAと同じ巻の

  B   遊女四五人田舎わたらひ       曽良
     落書に恋しき君が名もありて       翁

という恋句における遊女の描き方と全く同じで、売色の人の性の相異による差は全く見られません。男色を詠む事をひけ目に思うどころか、むしろより共感しているような感じがするのです。尤もこれらの付合は何れも元禄期になってからのもので、AとBとは同じく元禄二年秋、おくのほそ道の旅の途中、山中温泉で曽良・北枝と巻いた「馬かりて」の歌仙(翁直しの山中三吟として有名)から取ったものであります。

元々、芭蕉は衆道は好きだったとも言われ、談林時代の桃青(芭蕉)の作品には、男色を題材としたものが多いけれども、それらの殆どは放埓・野卑ですから、黙殺する事に致します。

近代以後、同性愛は封建社会の遺物として嫌われるようになり、野蛮の弊風として軽蔑されるようになりました。現代連句でもゲイボーイ・ゲイバーなどが時々句材に出る位であまり同性愛の句は出ないのではないでしょうか。これはやはり近世期のような同性愛に対する共感がないからでしょう。私はそんなものは無い方が却っておもしろいと思うのですが。
 

●「猫蓑通信」第36号 平成11(1999)年7月15日刊 より

 
 
 
 
 
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