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東明雅の連句Q&A

 
35・式目の簡素化と厳格化、芭蕉の式目観
連句人には、式目を簡素化したがる傾向と、厳しく意識する傾向と両方あるようですが、芭蕉は連句の式目をどのように考えていたのでしょうか。

 
俳諧の式目は、元々連歌の式目をゆるやかにしたもので、当時最も権威があったのは松永貞徳(承応二年没)の「俳諧御傘」でしたが、芭蕉はこれを「信用しがたし」として用いず、梅翁(元禄二年没)の「俳諧無言抄」を「大様よろし」として推奨しました。これは「俳諧御傘」の項目を大幅に減らし、証句を揚げて簡素化した点がよろこばれたのでありましょう。

また、門人の中には、いろいろ差合を解決する為に、蕉門独自の式目書を作って欲しいと願う者もあったようですが、それらに対して、私に式目を作るなど甚だ慎しむべき事だとことわり、差合のことは、その場、その場で適当に考えればよい事で、まずは大体の取扱いでよろしいと言っております(三冊子)。

この事は、去来も「先師は、一応は法式を用いられたが、それに拘泥されなかった。何か考えがある時は古式を破られる事もあった。しかし、自分勝手に破られる事は稀であった」(去来抄)と述べている所と重なりあうところでありましょう。

右のように、芭蕉は当時の俳諧の式目を信用せず、従ってその権威も認めておりません。差合が起った時は、その場、その場で自分で考えて処置しました。そのため、その解決が古式に合う場合もあり、合わぬ場合もあるのは当然ですが、合うのは偶然であり、決して芭蕉が古式に合わせようとしての結果ではありませんでした。

貞亨式海印録(安政六年自叙)の著者の原田曲斎が「よくよく考えてみるに、蕉門で専ら用いる式目は、春秋の句はそれぞれ五句去りで、三句から五句まで続けてよい。夏冬の句はそれぞれ二句去りで、一句から三句まで続けてよい。花は一折に一つ、月は面に一つで、月と月との間は五句去りであるという外は、凡てその場その場の臨機応変の処置である」と言っている通り、芭蕉の作品には、たとえば一巻の中に恋の句のないもの、表六句の中に神祇・釈教・地名・人名などの出る巻、同字三句去りを守らぬ巻、発句に出た字を挙句にも再出した巻、素秋の禁を破った巻など、数えるに遑(いとま)がありません。

これらの現象をとらえて、芭蕉は式目を事実上、簡素化したと見るか、反って後世の人にいろいろな迷を残す事になったと見るか、これは皆さん、それぞれのご判断におまかせ致したいと思います。
 

●「猫蓑通信」第35号 平成11(1999)年4月15日刊 より

 
 
 
 
 
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