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東明雅の連句Q&A
 

 
33・物付、心付の意義
芭蕉の匂い付は優れた付け方として連句のどの本でもほめてありますが、それ以前の物付や心付は付け方として価値のないものなのでしょうか。
 

 
「先師(芭蕉)曰(いわく)、ホ句はむかしよりさまざま替り侍れど、付句は三変也。むかしは付物を専らとす。中頃は心付を専らとす。今はうつり・ひびき・にほひ・くらいを以て付るをよしとす」と「去来抄」に書かれているので、貞門時代の付合は物付、談林時代は心付、芭蕉時代の付合は匂い付という固定観念が生まれるのも当然でありますが、この考え方は今日、修正あるいは補正される必要があります。

元々、前句と付句の間をひろく離すことは、連歌の時代から心懸けられたことで、物付(詞付)より心付(句意付)への傾向は、談林時代になって急におこったものでなく、既に貞門時代からのものであります。

この心付が、前句の句意そのものによって付ける心付(句意付)から、前句にひそんでいる余情・余韻による心付(余情付)となしたのは芭蕉の功績で、これにより前句と付け句の間は最大の距離を持つ、いわゆる匂い付と言われるものが、これであります。

「去来抄」に「うつり・響(ひびき)・匂ひは付けやうのあんばいなり。面影(おもかげ)は付けやうの事なり」とあるのを見ると、蕉門では面影付というのは付け方の一つと考えていたようでありますが、移りとか響きとか匂いとか言うのは余情で付ける場合、その付合によって生ずる付け味を言うのであって、匂い付・移り付・響き付というものは、付け方の一つとしては認めなかったようです。従って、匂い付というのは今日では余情付という名で呼ばれております。

ところで、それではこの余情付が生まれた以後は、心付(句意付)や物付はもう何の価値もないものとして、見離されたのでしょうか。いま、「芭蕉七部集」の中から検証してみましょう。たとえば、「猿蓑」の「市中は」の巻などは全巻、余情付みたいな惑じがしますが、仔細に見ると、

   草村に蛙こはがる夕まぐれ       凡兆
    蕗の芽とりに行燈ゆりけす      芭蕉

   五六本生木つけたる瀦(みづたまり)   凡兆
    足袋ふみよごす黒ぼこの道      芭蕉
   追たてゝ早きお馬の刀持        去来
    でつちが荷ふ水こぼしたり      凡兆

などには、心付(句意付)がふんだんに見られます。

また物付についても、「附物にて付る事、当時好まずといへども、附物にてつけがたからんを、さつぱりと付物にて付たらんは又手柄なるべし」(「去来抄」)と、芭蕉はその存在価値を十分認めているのであります。
 

●「猫蓑通信」第33号 平成10(1998)年10月15日刊 より

 
 
 
 
 
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