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東明雅の連句Q&A
 

 
26・新年の季語
新年の季語は連句の付合の上ではどのように扱えばよいのでしょうか。冬季の一部と考えるのでしょうか。独立した季語と考えるのでしょうか。
 

 
明治五年(一八七二)十一月、明治政府は従来の太陰暦を廃して、太陽暦を採用する布告を出しました。それで、暦の七十二候によって春を二月からとし、それによって春夏秋冬と四つに割りふる事が考えられ、今日に及んでおります。しかし、ここで問題となったのは新年をどう取り扱うかであります。新年を冬とするのは、どうしても国民感情になじみません。新年はどうしても新春であり、千代の春であり、今日の春であり、冬ではどうしてもおめでたい気分が湧かないのであります。

それで、四睡庵壷公という俳諧師が「ねぶりのひま」という俳諧選集の中で、「抑も二月を初春とすれば、一月は冬なり。されども年のはじめならば、その言葉なくては叶はず」として、新年の季題を別格とし、四季の前におくことにしたのでありました。これが今日まで多くの歳時記・季寄せに受けつがれて来ております。

山本健吉の季寄せは春・夏・秋・冬をそれぞれ三月にわたるものと、初・仲・晩の四部門に分けているので、連句を作るものに取っては極めて重宝でありますが、この季寄せも新年の部を独立させるとともに、冬の部には、初冬・仲冬・晩冬の外に、歳末という部門を設けています。即ち、初冬はほぼ陽暦十一月、仲冬は陽暦十二月、晩冬は陽暦一月でありますが、歳末は陽暦十二月十三日以後の季語で、新年の季語とはっきり区別のできるものを集めております。

それ故、新年の発句に対して、脇は必ず新年であるべきことは当然でありますが、第三に初冬・仲冬を出すのは、どうしても季戻りの感があるので遠慮すべきでしょう。

また、明治以来の連句では、発句(新年)・脇(新年)に対して第三は春を付けながら、四句目(雑)・五句目(秋の月)と続けた作品を多く見る事が出来ますが、これは旧暦で新年が春だった名残が現れているのでしょう。

芦丈先生は、発句新年、脇新年、第三春、四句目春、五句目(春の月)という形を守られながらも、第三以下五句目までの句の中には、なるべく春という文字を表に出さぬようにして作れと教えられましたが、これも新年は実際は冬なのだというイメージをいささかでも払拭しようとされたのだと思います。

結局、新年は明治以後、春から独立した季語となりましたが、時期的に見ると歳末と晩冬の間に捧まれておりますので、冬の一部と見る事もできるのであります。
 

●「猫蓑通信」第26号 平成9(1997)年1月15日刊 より

 
 
 
 
 
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