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東明雅の連句Q&A
 

 
14・仮名遣い
仮名遣いについてお尋ねします。連句作品の仮名遣いは、旧仮名遣い、現代仮名遣いのどちらがよいのでしょうか、旧仮名遣いの場合、何か表現上のメリットがあるのでしょうか。お教えください。
 

 
仮名遣いの問題は、俳句の世界でも同様で、いろいろな意見が対立しているようですが、大別すると、一、旧仮名遣い派、二、新仮名遣い派、三、新旧許容派に分れるようで、大体、文語体の俳句を主とする派では旧仮名が多く、口語体の俳句を中心とする派では現代仮名遣いが行なわれるのが普通のようです。

それはその筈で、大体、この現代仮名遣いの公布は昭和二十一年のことであり、その前書にも「このかなづかいは、主として現代文のうち口語体のものに適用する」と書いてあります。

連句は口語体の句を混ぜる場合もありますが、大体は文語体なので、現在も旧仮名遺いが用いられるのは当然であり、その方が、文体と仮名遣いの間に乖離がなく、作品がすっきりするという利点があります。

ただ、現代日本の国語の実情を眺めてみますと、その旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)を誤りなく完全に書ける人は、六十歳以上の方でしょうし、五十代・四十代・三十代と以下、年齢に反比例して、旧仮名遣いヘの親密度・習熟度もうすれて行くのではないでしょうか。それで連句は文語体だから旧仮名遺いを用いていればよいのだと割り切ってしまうわけにも行かないのです。

現在、私自身は旧仮名遣いで作品を発表しておりますが、猫蓑会の人には、これを強制するつもりはありません。現代仮名遣いで発表されても結構です。ただ、その際には、旧仮名遣いと新仮名遣いとの混用は絶対に困ると、こればかりは強く申し入れておりますが、そうでなければ、どちらでもよいと考えております。

私の個人の経験からしても、昭和四十年代の作品集「夏の日」は現代仮名遺い、そして五十年代の「猫蓑」・六十年代の「新炭俵」は旧仮名遣いであります。この変化ははっきりした意識に基づくものではなく、おそらく相手していた人たちの仮名遣いに順応したものでしょう。

さらに考えれば、「夏の日」時代の私の作品は何か新しく、それが「猫蓑」・「新炭俵」になって、老成していることも事実のようです。だから、仮名遣いが作品に与える効果も無視できないと思います。

しかし、それも連句は自分だけが現代仮名遣いをしようとこころみても、連衆全部がそれに賛成して、同じ歩調を取らねばならぬところに、俳句にない問題があると言えましょう。
 

●「猫蓑通信」第14号 平成6(1994)年1月15日刊 より

 
 
 
 
 
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